易暮し by 暖淡堂

易を学びながら、心豊かで穏やかな暮らしを手に入れましょう

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身体と心がピタリと合っていたら、無駄な思いは生じない 艮爲山【易暮し】

 

今日の卦辞:艮爲山

艮/艮

艮爲山

艮其背。不獲其身。行其庭。不見其人。无咎。

その背に艮(とど)まりて、その身を獲ず。その庭に行きて、その人を見ず。咎なし。

 

艮(山)が二つ重なっています。

艮とは止まること。

その場に足を止めていること。

身体のあるところに心も止まっていて、ぴたりと重なっている様子。

そのような状態であれば、心に余計な思いは浮かんできません。

何かを思うとは、身体と心とのズレがある時に起こること。

何も思わない時間が、落ち着いた心の状態であるのはそのためですね。

落ち着いていれば、人々が多く集まっているところに行っても、惑わされることはありません。

艮の状態は、とても大切なものです。

 

易経と新井白蛾の「易学小筌」にある艮爲山の卦辞は以下の記事もご参照ください。

ekilife.hatenadiary.com

 

艮爲山の原文は以下のリンクから。

ekilife.hatenadiary.com

 

暮らしのヒント

身体と心にズレがない時、心に思いは浮かんできません。

とりわけ、「言葉」は静かになっている状態になっています。

自分自身がそうなのですが、普段はずっと「言葉」が頭の中に浮かんでいます。

それは自分の声で語られていたり、誰か他人の声のものであったり。

 

「考える」とは、「言葉で考える」ということになっています。

ある時気づいたのですが、その「言葉で考える」ときの声を黙らせることができたら、とても心が落ち着くのです。

まったくの無音にするのは難しいので、例えばたくさんの人の声を合わせたコーラスのような声で「アー」と意味のない音だけにする。

それで、とてもすっきりします。

さらにそのときに、自分の身体の隅々を点検するように思いを巡らせる。

身体の部分部分が囁いている小さな声に耳を澄ませる。

そんな時間を10秒でも過ごすと、その後の気持ちがスッキリとします。

 

もしかしたら、これって「瞑想」に近いのかな、とも思ったりします。

ただ、自分の場合は、歩きながらとか、仕事中のちょっとした空き時間とか、朝目覚めてまだ布団の中にいる時とか、そんな状況でやっています。

まあ、それも「瞑想」に近いのかもしれません。

 

中国唐の時代の禅僧臨済の居眠りも、この「瞑想」の先にある姿に思えます。

sanboku.blogspot.com

 

艮を上卦とする卦のまとめ記事は以下になります。

ekilife.hatenadiary.com

 

 

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